時間という幻想

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昨日まで、連続で亡き大久保氏の記事を紹介させていただいた。
お読みいただいた方、
ご一緒に追悼いただき、ありがとうございました。
 
改めて、昨日までの大久保氏の記事を読んで、
私が触れたくなったのは、
「時間」という概念についてだった。
そして、思い出したのは、
誰もが知っている昔話「浦島太郎」。
 
時間という一直線のものは、思い込みに過ぎなく、
たたみ込まれている。
地上という舞台で経験するための仕掛け、
幻想だということを、
マスターBは、合理的に言葉で説明しようとしている。
「意識は過去と未来との架け橋だ。
瞬間をいくら集めても時間にはならない。」と。
浦島太郎はそれをメタファーで説明しようとしている。
伝えたいことは、同じと考えていいのではないだろうか。
 
ミコトから、
「あなたの頭が硬いのだ。
あなたは、テレビや演劇で見る舞台の中では、
例えば、
『そして、10年が経った』などと、
テロップやアナウンスが流れると、
すぐにその時間の流れに同化するのに、
自分の人生という舞台上の時間感覚には
固く縛られてしまっている。
あなたの生きる人生という舞台にも
同じ刻みで進む一直線の時間という概念はない。
時間は幻想に過ぎない。」
といった意味のことを言われたことがある。
確かに、同じ時間でも、
早く流れたり、遅く流れたりという感覚に
陥ることは誰でも経験していることだろう。
 
つまりは、この地上という舞台における人生も
テレビドラマと同じなのだ。
現実味を帯びて人生を経験するために、
私たちに時間という感覚を思い込ませただけなのだと
ミコトは言いたいのだ。
もう、その感覚から離れる時がきている
ということだ。
 
地上の私にとっての、
私の年齢68年は、
どうも、天界(浦島太郎なら竜宮城)に於ける
1日に満たないと言えそうだ。
 
時間だけでなく、空間も然り。
 
最後にアインシュタインの相対性理論を以下に。

物理学者アインシュタインの相対性理論によれば、運動している物体の時間の経過は、静止している物体のそれに比べて相対的に遅くなる。この現象は日常的には判らないが、光速に近づくと顕著になり、理論的には、光速に達すると時間は止まってしまう。そのため、光速に近い速度の宇宙船に乗って宇宙旅行をして帰還すると、地上では宇宙船での何倍もの時間が経過しており、宇宙船の乗組員は、さながら浦島太郎の様相を呈することとなる- Wikipediaより。
 
これを機に、
時間について考えていただけたら、嬉しいです。
 

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