大久保忠男氏を悼む(3)

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本日も、昨日に引き続き、亡き大久保氏のFBの記事。
巷でよく言われる「今を生きなさい」という
言葉に通じるように私には思われる。

哲学者を相手に、
過去、現在、未来を成り立たせる
プログラミングを
詳細に解説しているような…。

皆様はどうお感じになるだろうか。

 

゜+.――゜+.――゜

 

マスターBが<人間の謎>について語る(3) 2016年11月4日

 

まず、経験の領域における、
最も身近なところから最初の一歩を踏み出そう。

最も身近なものとはなにか?
それは、自分自身だ、、、
これ以上に身近なものはない、、、
あなたが一番近くで一番長く付き合ってきたものが、
あなた自身なのだから。

そして、あなた自身とは、なによりもあなたの精神だ。
たった今、私の話を聞いているのはなにか?
あなたの精神だろう。
そして、精神とはなによりもまず意識を意味する。

意識とはなにか?
意識とはまず記憶のことだと言おう。
記憶が存在しないならば、意識も存在しない。
自分の過去をなにも保存しない意識、、、
自分自身を絶えず忘れる意識というのは、、、
一瞬ごとになくなりまた生じる意識と言える。
無意識について定義したならば、こういうものではないだろうか。
だから、意識というものは記憶であり、
記憶とは現在における過去の保存と蓄積である。

しかし、一方で、意識は未来に対する予期でもある。
任意の瞬間における、
あなたの精神の方向をとらえてみなさい。
そうすると、あなたの精神は、
今あるところのものに関わっているが、
それはなによりもあろうとするもののためだ
ということに気づくだろう。
注意とは期待であり、
生への注意をともなわない意識はありえない。

未来はそこにあって、あなたによびかける。
そして、あなたを未来に引き寄せる。
未来があなたを絶えず引き寄せることによって、
あなたは時間を進むことになる。

あなたがたゆまなく行動を続ける原因もここにある。
行動は未来への侵入なのだ。
 
・・・・・
 
以下、コメント

私:私たちが意識魂(←スミマセン、シュタイナー用語)であることを
静かに想起させてくれる、哲学と愛の狭間がなくなった表現。
私の精神(意識)にどちらに向きたいのかと方向を問うていれば、
その問いに未来が応えて私に呼びかけ私を導く。
そうやって、私は日々を創造しているな、
コマ落としの瞬時が連なって、
私の人生と呼びうるものとなるのだなとの実感がある。
行動し、経験することで、
たたみこみ保存されていた記憶が、
必要なタイミングで、アナロジーを感じた瞬間に脳に蘇る。
まるで目の前のファイリングから自動的にポップアップするように。
もし私が「お前は何者か。」と問われたら、
「私は私があろうとするもののためにある者だ。」と答えるだろう。

大久保氏:その通りですね、、、そう思います。

 

゜+.――゜+.――゜

 

今日の写真はウィンターコスモス
花言葉は「調和」
もう、幾重にも光に包まれて。
 
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「天空の扉」

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