アンズのつぶやき 129 【死を迎える時】

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【死を迎える時】
 
「愛を動機に。」
と連呼する私だけれど、
それは本質的に私にとっての真実だけれど、
分かってはいるのです。
その「愛」なるものが分かることこそが
難しいのだということは。
 
「愛」を
「無償の愛」とか、
「無条件の愛」とか、
「神的愛」とかに
言い換えるのは、
やぶさかではないけれど、
言い換えても
分からないものは分からないと
分かっている。
 
だって、
私たちは、
「愛」を知るために
今を生きているから。
「愛」を知ることが、
魂の目的だから。
 
すでに「愛」を知っていたら、
ここで生きている目的そのものが
なくなるようなものだから。
 
だから、今、
「愛」が分からなくてもいい。
「愛」が分からないと思っていても、
「愛」は私たちそれぞれの魂の奥深くで、
探し出されるのを、
更に適確な言葉を使えば、
思い出されるのを待っている。
 
卵が先か、
にわとりが先か。
それはどちらでもいい。
糸口さえ掴めば、
どちらでもいいから。
それどころか、
糸口を掴めなくても、
いいから。
ただ、
「愛」を知ろう、
「魂の目的」を知ろう、
とする姿勢があればいい。
そう、
私たちは
生きているだけで、
尊い存在だから。
 

そのために、
私たちは、
何度も何度も、
輪廻して、
愛を知ろうとする。
思い出すという作業に挑戦する。
 
自由意志は
そのために、
すべての人に与えられたギフト。
 
死を迎える時、
多くの人が
「もっと自分のしたいことをすればよかった。」
と思うそうな。
 
ならば、今、
自分のしたいことをしよう。
 
今の人生の次にも
私たちが希望すれば、
地上に生命として
誕生することができるかもしれないけれど、
今、もうすでに
私たちは地上に生命として生きている。

ならば、次ぎの生を待つことなく、
今のこの人生で、
自分のしたいことをしよう。
「愛」で選択できない時があっても、
それは失敗ではないから。
失敗でなくて、
経験だから、
そこから学んで、
新しく
愛を基に選択しようと、
出発することができる。

 

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