真ん中の道

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2013年3月
 
天(ミコト)に質問をした。
 
私:天が私に望んでいることを、
私に明確に分かるように私に知らせてください。
私は、どういった価値を、天に差し出すことができるでしょうか?

天;真ん中の道を行くことだ。
  その先駆けとなることだ。

良子:では、私にメンターを、師を授けて下さい。
会わせてください。

天:そうではない。
お前がそのメンターになるのだ。
それだけの力をお前には与えてある。
日々課題を出してゆく、怠りなく向き合うように。

 
゜+.――゜+.――゜

 
「真ん中の道」とは、
すでにこの時、私にとって、
天(ミコト)から聞かされるまでもない
言葉だった。
正確に思い出すことはできないが、
「真ん中の道」という言葉は
当時いつも私の脳裏に胸の内にあった。

意味としては、
偏りのない真ん中を行くということだ。
シュタイナー的言葉で言えば、
二元に陥ることなく、
一元的に見て進むということだ。

この言葉を私に伝えるとは、
私のことをすでによく知っている存在なのだと
そう思った。

それにしても、
この頃のミコトは
今とは違って、
威厳に満ちた雰囲気を醸し出していた。

現在、私と語らうミコトは、
ユーモア、冗談を好む、
フレンドリーで友達のようである。
とはいえ、
時には、口調を変え、
真摯に、あるいはいかめしく。
沢山の側面を見せて、
私と対する。
その語り口がいかように変化しようとも、
その存在がミコトであるかミコトでないか、
私には、ミコトであればミコトと分かる。
理屈を超えてそうと分かる。
不思議なことだ。

ミコトとは、
言葉がなくても、コミュニケーションは成り立つ。
それなのに、多くの人間関係では、
なぜ、言葉があるにもかかわらず、
コミュニケーションが成り立たないことが多いのか。
 
天界からのメッセージを受け取り始めた
この時期、
私はよりいっそう、
自分に関心を寄せるようになった。
参考までに、4年前の当時、
ノートにある私がふと思った
メモを以下に記してみる。
あくまで、私のメモに過ぎない。
己を知るために有効な方法の一つだ。
人により、千差万別のメモとなるに違いない。

・自分がやれて、やりたいことって何。
・特定の個人への貢献でない感じ。
・試練は人を、より大きな海に漕ぎださせる。
・内側に目を向けるとは、自分の中に可能性を見つけること。
・自我を固めない。いつも柔らかく、柔軟に。
・守ろうとすると、固くなり、不自由になる。
・自分の奴隷解放、のびのびと。
・生きるとは、死に向かうプロセス。
・循環、変化。固定して安全はない。
・本来人は、宇宙の理として、幸せな存在だが、それを忘れている。
思い出せばいい。幸せな自分だったら、現状況をどう解釈するか。
等々。

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