ミコト名を名乗る

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振り返ってみるに、
この日は記念日だった。

 
「かぐや姫として生きる私アンズは、一つの竹の節を迎えた。」
という表現が適切と言っていいだろう。

 
初めての啓示を受け取り、
初めてのメッセージを受け取り、
そして、
初めてこの日は名を明かされた。

 
このように、一つ一つの節目を迎えつつ、
今の私がある。
そういうことなのだ。
くっきりとそういうことなのだ。
と言うしかない。

以下はその記念すべき、
ミコトからのコンタクト。

 
 
゜+.――゜+.――゜

 

 
2014年7月
 

 
天:「ほんとにあなたは言葉にうるさい」と言ったのは、
あなたに対する非難ではありません。
私は愛を込めて「言葉にうるさい」と言っているのです。
言葉を表面的に受け取ってはいけないですね。

 
「バカ!」という言葉にも愛を込められるのと一緒です。
そうです。
「言葉にうるさい」という表現は、あなたの長所として言ったのです。

 
痛みのあるところに触れる言葉を、
その人は、非難として受け止めます。
そして傷つきそうになるので、
傷つきまいとします。
傷つきまいとして反発するか、
傷つくことを受け入れてしまうか、
どちらも愛ではありません。

 
逆説的ですが、どちらのパターンも
愛で中和することができます。
どちらが良い悪いではないということですね。
二元の世界から抜け出しなさい。
これを地上の人々に伝えなさい。

 
今日のセミナーは私が行かせました。
あなたの推察の通りです。
見守っていますから、
底抜けに、根こそぎ楽しんでいらっしゃい。
大丈夫です。OKです。

 
その通り、悲しみも抱き取りなさい。
その途端に、悲しみも、その悲しみの涙も輝きます。
そのことを伝えなさい。

 
すべてが、一切が輝きに満ちていることを。
一切の心配から離れなさい。
人生は一人一人違うのです。
都合の良い例を見つけ出して正当化するのが人間の常。
あなたも昨日はそこに陥ったに過ぎません。

 
すべての人に敬意を払いなさい。
それが学びのはずですね。
他の人がそうしていないからと言って真似ても意味がありません。
胸を張って、敬意を表することを学び終えなさい。
更に世界が見えてくるはずです。

 
これまでのあなたの人生に何一つ無駄はありませんでした。
これからの人生も然りです。
いつでも私の名を呼びなさい。
私はクニタチノミコトです。

 
私について調べてみてください。
私もあなたに私のすべてを知って欲しく思っています。
必要なタイミングでそれ(クニタチノミコトについての本)
はもたらされるでしょう。
待っていることです(お待ちなさいというニュアンス)。

 
私の名を呼び始めてくれたことに深く感謝の意を表します。
ありがとう。

  

 

゜+.――゜+.――゜

  

 
《 2017年3月24日 アンズ追記

 
名前の表記に、「クニタチノミコト」とあるのは、
私が「クニトコタチノミコト(国常立命/国之常立神)」
という天地開闢の際に出現したとされる神の名を、
私が正確に知らなかったがためにすぎない。

 
私は当時、名乗られてすぐに「クニトコタチノミコト」
という神の名をネット検索して調べてみたが、
今ほど、多くの情報を得ることができなかったと記憶している。

 
名を告げられはしても、この「クニトコタチノミコト」
と名乗る存在と、私がどのように関わっていくのか、
あるいは、関わっていかないのか、
全く見当のつかない状態だった。
が、この時から、3年半以上経た今、
予告されたように、私は、
この日「クニトコタチノミコト」と名乗った高次の存在のことを
深く知るようになった。

 
まだまだではあるが、少なくとも、
この「月に帰らないかぐや姫のブログ」を書こうと
いう思いに至った。ということだ。
予告された通り、名を明かされてからというもの、、
すべては必要なタイミングで
私の人生は動き出したのだ。
もう、私はそれを否定しない。
否定したくないから。

 
「誰もそうしたいと欲しないことはしない」

 
そう、シンプルな話なのだ。 アンズ 》

 

゜+.――゜+.――゜
 
今日の写真は、原種チューリップ。
親指ほどの小さな花だって、
光を浴びて自分で立つことができる。
私たちも微力ではあっても、
光を浴びて愛を放つことができる。
「ひたむきにアンズの庭」より

 

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