アンズのつぶやき 143 【高次の存在とコンタクトを取る】

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【高次の存在とコンタクトを取る】
 
高次の存在とコンタクトを取るって、
どんな感じなの?
と聞かれることがある。
 
コンタクトがあることを、
つい、「聴こえた」「言われた」
と表現してしまうのだけれど、
必ずしもはっきりとした輪郭を伴った声が
耳に聴こえるばかりではない。
 
ではどういう感じなのか、
私なりに書いてみると、
聴こえるというより、
感じる。
 
皮膚感で言えば、
さやさやと、
優しく撫でるような。
 
聴覚で言うと、
響き。
さらさらと、
美しい調べのようである。
 
イメージで言えば、
川の流れのようであり、
風のそよぎのようであり…。
 
いわゆる五感の範囲を超えている。
 
それを私が、
日本語に、
あたかも翻訳するかのように変換する。
ノートしたい時には
文字に、文章に起こす。
 
受け取るのは、
言葉を超えた精妙なメッセージ。
だから、言葉に変換する時に、
私の知っているどの言葉を使ったら、
より正確な表現となるか、
迷うこともある。
 
又、言葉のように、
秩序正しく一定のリズムで
もたらされるわけではないので、
私が、そのメッセージを
私が満足する程には、
正確に言語化できないこともある。
  
塊でやってきたり、
速度があまりに速いため、
端折って言葉にしてしまったり、
殴り書きになったり…。
 
又、
一番残念に思うのは、
やってきた感覚を
感じきり、浸り切ることが、
そのメッセージを
最も自分のものとできると分かっていても、
私が二元の世界に生きる者の宿命として、
感じ切るか
あるいは
記録に残すか、
二者択一を迫られざるを得ない時が
あることだ。
 
高次の存在からもたらされる
すべてのメッセージは、
いつだって
愛に満ちたエネルギーそのものだ。
圧倒的に素晴らしく、
私はかつて
この愛のエネルギーを
すでに知っていた
との実感にも満たされる。
 
ということは、
私の実感から来る
私の真実に過ぎないのだけれど、
私はそれでいい。
 
そもそも、
声が聴こえるということは、
それ自体がスゴイということでは、
全くないのは分かりきったことだ。
 
それをこの地上でどう活かすかが
大切なのだ。
 
愛に満ちたメッセージを
愛そのものに基づいて
伝えようとすること以外、
選択のしようがない。
 
少なくとも
私はそう思う。
そのためなら命をかけるのは、
惜しくはない。
 
まだまだではあるけれど、
まだまだの自分を受け入れることで、
瞬時瞬時再スタートし、
一歩一歩進んで行く。
たまにお休みしたり、
転んだり、
後戻りしたり、
悪戦苦闘したり。
それも楽しく、面白い。

 

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